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海(♂)

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二人の出会いから、別れに至る…切なくも激しいラブ・ストーリー

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その通りだと思う・・・

今日の日経ビジネスオンライン記事・・・

今の資本主義はもう、やめてくれ

“森の国”の思想が次の経済システムを作る


に深く共感しました。

安田喜憲(やすだ・よしのり)氏
国際日本文化研究センター教授。1946年三重県生まれ。72年東北大学大学院理学研究科修了後、広島大学総合科学部助手、国際日本文化研究センター助教授を経て94年に現職。専門は環境考古学。気候変動が文明に与える影響を研究している。


この安田氏の著作を以前拝読したことがあって、その時にも確かにその通りだなと納得させられたことがあるのですが、今日のこの記事の中でも、

・ギリシャ文明やローマ文明は森林が壊滅することによって滅びた。
・森林が壊滅すると他の生命を畏怖することのない排他的な一神教が広がっていく。
・人間以外の生命を畏怖しない排他的な一神教が現代の市場原理主義を生みだした。
・市場原理主義が地球環境を破壊していく。
・一神教の世界観に立脚した経済システムに代わる経済理論、経済システムを作るのは多神教の世界観である。


と安田氏は述べ、最後に・・・

次のシステムを作れるのは日本だと思います。一神教の世界観に立脚した経済システムに代わる経済理論、経済システムを作るのは多神教の世界観を持つ日本しかありませんよ。そのキーワードは命。生きとし生けるもの、この地球上にあるあらゆる命が輝くような経済社会を作る。今までは人間だけが命を輝かせていたけれども、さらに言えば、金持ちだけが命を輝かせていたけれども、地球の皆が輝けるような社会を作ることです。

と結んでいます。

僕は以前から真に人類が平和共存できる社会を実現するには、一神教的な世界観ではなく、日本古来の多神教的世界観が必要だと考えていたので、安田氏の話には全くその通りだと強く共感させられたのでした。^^

以下記事の全文を引用します。



2009年3月期決算での最終赤字を発表したトヨタ自動車を皮切りに、ソニー、パナソニック、シャープ、東芝など日本を代表する企業が最終赤字や営業赤字に転落しようとしている。実体経済に痛撃を与えた金融危機。これまで繁栄を謳歌したグローバル資本主義経済の1つの転換点と言って過言ではない。

 私たちの想像を超える深度で進む危機。一定の周期で訪れるバブルが破裂しただけなのか、それとも既存の社会・経済システムが激変する地殻変動の兆候なのか――。その解を探るには、全く異なるレンズを通して今を眺めることも重要なのではないか。数千年のスパンで文明の盛衰を見つめる環境考古学者に聞いた。


 ―― 数千年のスパンで人間社会を見つめている考古学者が今の金融危機をどう見ているのか。今日はそれを聞きたいと思ってきました。本題に入る前に、安田教授が唱える「環境考古学」とはどのような学問なのか、そのことからお聞かせいただけますか。

 安田 僕はもともと地理学を研究していました。地理学というのは、自然と人間の関係を研究する学問。僕も気候変動や森林破壊が人類の歴史や文化に与える影響などを研究してきました。ところが、大学を卒業する頃、高度経済成長期になってからは、「マーケットの中心はどこにあるのか」「どこに工場を建てればいいのか」「どのように市場を開拓すればいいか」といったテーマが地理学の中心になりました。

「ギリシャ文明は木を切り尽くしたために崩壊した」
 僕の関心は自然と人間の関係にありましたから、相変わらず「気候が変わると文明が崩壊する」「森がなくなったら人類の生活が困窮する」などという話をするわけです。すると、「それを克服する英知と技術力が人間にある」「お前の議論は時代遅れだ」などと言われてしまう。僕は東北大学の大学院を卒業した後、広島大学の助手になるのですが、足かけ15年間ずっと助手のままでした。

 ―― 不遇ですね…。


安田喜憲(やすだ・よしのり)
国際日本文化研究センター教授。1946年三重県生まれ。72年東北大学大学院理学研究科修了後、広島大学総合科学部助手、国際日本文化研究センター助教授を経て94年に現職。専門は環境考古学。気候変動が文明に与える影響を研究している。
(写真:大槻純一、以下同)

 安田 全く恵まれていなかった。当時、親切な教授がいて、「安田君、こんなことをしておったら、いつまで経っても助教授にはなれないよ。ちょっとやることを変えたらどうだ」と言ってくれたんだけれども、早く教授になるために学者になったわけではないのでテーマは変えませんでした。

 その状況が変わってきたのは1990年代になってから。オゾンホールが発見されて、地球環境問題が大きな課題になると、僕の仕事が次第に注目されてきました。特に、日本では冷害が起きた94年以降でしょうか。技術力を持った国なのに、ちょっと冷害が起きただけで米不足になった。それが呼び水になって、徐々に注目されるようになりましたね。

 ―― 地理学が環境考古学に発展したのには、どんな経緯があったのですか。

 安田 僕は地中海に憧れていたので、広島大学時代は古代ギリシャ文明や古代ローマ文明の研究をしていました。その研究で初めてギリシャを訪れた時に禿げ山を見た。ミケーネ遺跡の背後にイリアス山という山がありますが、そこには全く木が生えていなかった。

 「こんな禿げ山のところで文明が発展するはずがない」。そして、「木を切り尽くしたために、文明が崩壊した」。そう直感しました。その当時、文明の衰退を森林の変遷や環境破壊の関係で論じた人はいませんでしたが、僕は禿げ山を見た瞬間に、森を破壊したためにギリシャ文明が崩壊したと思った。

 その直感を証明するためには、森林破壊と文明の崩壊を科学的に証明しなければなりません。そこで、私は花粉分析の手法を用いました。花粉は科学的に安定した堅い膜を持っていて、土の中に落ちても腐らない。ボーリングで地層を抜き取り、花粉を取り出して、どんな種類の花粉がどれだけあるかを調べれば、過去に生えていた植生が分かる。

 実際に、僕はギリシャでボーリング調査をしました。すると、ギリシャ文明の時代には深い森があり、森の文明だったということが分かった。「テーベ」という都のそばにあるコパイ湖のボーリング調査では、ギリシャ文明が繁栄している時代にはナラとマツの混交林があったことが証明された。

表土が流出し、内海を埋め、マラリアの巣窟になった
 深い森があったのはローマも同じでした。ローマ文明は森の資源を使って船を造り、地中海の交易システムを確立した。これが、ローマ文明が発展した足掛かりだったと言われています。

 このように、ギリシャ文明やローマ文明の始まりの頃には豊かな森があった。それが、文明が発展する中で破壊され、今のような禿げ山になった。そして、禿げ山になったことがギリシャ文明やローマ文明を崩壊させた大きな要因になった――。その時にこう考えました。

 ―― なぜ森がなくなると、文明が衰退するのでしょうか。

 安田 禿げ山になると、表土が露出します。そうすると、雨によって浸食された表土が下流に運ばれてきて、内湾や海、湖などを埋めていく。すると、湿地になりますよね。私たちのような稲作農民はそういう湿地を水田にできるけれど、ギリシャは畑で麦を栽培し、羊や山羊を飼う人々。じめじめした湿地には何の意味もないからほったらかしにしてしまう。

 その湿地で蚊が発生し、マラリアが広がるようになった。実際、ギリシャ文明の末期にはマラリアは風土病になっている。そして、ギリシャ人たちは力を喪失させていった。花粉分析をしてみると、こうしたシナリオが見えてきました。

 ―― ローマはどうだったのでしょうか。

 安田 ローマは豊かな平野に乏しい山間の国。北アフリカの麦などの産物を運ぶために「ローマ道」や船による海上交易が必要でした。こうした交易システムを確立させるために、大量の木材資源を切った。そして、森が禿げ山になっていきました。あとはギリシャ文明と同じですね。西ローマ帝国の都、ラヴェンナなどはものすごくマラリアにやられました。

 ただ、マラリアという風土病が蔓延したと同時に、一神教の拡大がローマ文明の衰退を決定づけた。

 ―― なぜ一神教が衰退に関係するのでしょうか。

価値感の収斂が文明の破壊につながった
 安田 ローマ神話を見ても分かる通り、森がある時のローマは多神教の国でした。もちろん、ギリシャ文明も八百万の神々がいる国です。ところが、文明が発展する中で森が破壊され、禿げ山になった。そして、砂漠化が進行し、砂漠の民の間で誕生した一神教が広がりました。実際、ローマ文明が衰亡の坂道を下り始めたのはキリスト教を国教にした391年以降。これが、ローマ文明が衰退した端緒になったと言われている。

 地中海世界には、様々な民族、言語、宗教がありました。ローマ帝国は、そうした多様な価値観を多神教の思想で維持してきた。ところが、一神教を国教にすると、それを信じない人は排斥されていく。これが、多民族、多宗教の国だったローマ帝国が衰亡する1つの原因でした。

 ―― なぜ一神教は砂漠で誕生したのでしょうか。

 安田 森の中に暮らしていると、目の前の草花、森の中でうごめく動植物などを調べるだけでも日が暮れていく。八百万の神を信じる多神教は森の文明にこそ生まれるものだと考えています。ところが、砂漠には何もない。僕はシリア砂漠で1カ月、暮らしたことがあるんだけど、砂漠というのは音が全くない。

 確かに、砂嵐の時はサーッと砂が飛ぶ音がするけれども、夜になって砂嵐がやむと、物音1つしないのね。静寂の恐怖。だから、初めの2~3日は「星空もきれいだし、いいところだな」なんて思うけど、そのうち星が「ガシャ」「ガシャ」と音を出しているんじゃないか、と思うようになる。これにはビックリしたね。

 ―― 星が喋っているような気分になるんですか。

 安田 そう。やはり人間は自分1人、全く命のない世界にいると、命を求めるんだと思う。だから、夜空の星を見ていても、音を立てているような気になる。星空の彼方に天国の世界があると、そういうふうに妄想してしまう。そうして生まれたのが一神教だと思うんですよ。

 ―― 「神の声を聞いた」と。

 安田 そうそう。でも、それは妄想だよね。本当に神や天国を見た人はいないのだからね。ローマに話を戻すと、ローマ文明が崩壊したのは森を破壊したため。さらに、多神教を放棄して一神教になったことで、皆の価値観が収斂してほかの存続が許されなかったということも大きな影響を与えた。

オバマ大統領が「最後のアメリカ人」になる日
 これは塩野七生さんが言っているけど、ローマ帝国では元老院や長老が最も相応しい皇帝を選んでいた。そうして選ばれた最後の皇帝がテオドシウス帝でした。ところが、テオドシウス帝の後、ローマ帝国が東西に分裂すると、テオドシウスの子供という理由で皇帝が選ばれるようになった。これは王権神授説といって、キリスト教の影響を受けた結果です。これが、無能な皇帝を生み出す始まりになりました。

 分裂後の西ローマ帝国の初代皇帝にホノリウスという男がいました。彼はテオドシウスの子供なんだけど、端的に言ってバカだったわけですよ。だけど、その補佐官だったスティリコが優秀だった。彼はヴァンダル族という当時、蛮族とされていた部族の出身者でしたが、テオドシウス帝の寵愛を受け、皇帝の補佐官になっていた。

 この男が優秀だったために、ローマは持っていた。そして、このスティリコがローマ文明そのものでした。

 ―― 「ローマ文明そのもの」とはどういう意味でしょう。

 安田 社会にゆとりがある時代には、蛮族の出身者であっても許せる。でも、社会が逼迫状態になってくると、そんな男に命令を受ける筋合いはない、という意見が出てくる。スティリコも冤罪を着せられて、処刑されました。最終的に、スティリコが処刑されてから10年ぐらい後に、西ローマ帝国は西ゴートのアッティラに席巻されてしまいました。

 スティリコの存在そのものがローマ文明の多様性だった。その多様性が、キリスト教を国教として以降、失われていく。そして、スティリコの死とともに、ローマ文明は終焉を迎える。だからこそ、塩野さんはスティリコを「最後のローマ人」と称したわけです。

 このローマ文明の衰亡は今の米国文明によく似ている。

 僕は最近、オバマ大統領が「最後のアメリカ人」ではないか、と思うようになりました。ヴァンダル族がローマ帝国で蛮族だったように、黒人も米国社会では主流派ではありません。ところが、アメリカ人は彼を大統領に選んだ。オバマ大統領を選んだということは米国にはまだゆとりがあるのでしょう。

 でも、もしオバマ大統領がスティリコのように冤罪を着せられて処刑されたり、暗殺されたりするようなことがあれば、ローマ文明が滅びたように米国文明は終焉すると思う。オバマ大統領の「終わり方」は米国の未来、ひいては世界の未来を予言するのではないでしょうか。

森林の消滅とともに広まったキリスト教
 ―― 「環境破壊はキリスト教の原罪」と安田教授は指摘していますが、これが意味するところは何でしょう。


 安田 ローマ文明の崩壊後、文明の中心地はアルプス以北のヨーロッパに移りました。アルプス以北は12世紀まで広大な森に覆われていました。ジュリアス・シーザーの「ガリア戦記」には、「60日歩いても森の端に到達できない」ということが書かれています。それだけ、深い森に覆われていたということです。

 ところが、12世紀以降の大開墾時代に、ヨーロッパの森は破壊されました。17世紀の段階で、英国では90%、ドイツで70%、スイスでも90%の森が破壊された。もともとアルプス以北はドルイド僧のいた森深い多神教の世界でしたが、森林の消滅とともに一神教の世界、つまりキリスト教が広がっていきました。

 その後、ヨーロッパでは燃やすものがなくなり、燃料に困って石炭に手をつけるようになった。これが、産業革命ですね。石炭という新しいエネルギー資源を手にした結果、ヨーロッパは息を吹き返しますが、その過程で誕生した思想が市場原理主義でした。

 この市場原理主義の原点になったのはアダム・スミスの「神の見えざる手」。ただ、それと同時に影響を与えたのはマルサスの「人口論」と言われています。

 ―― 食料生産と人口増加の不均衡を指摘した「人口論」ですか。

 安田 マルサスは「人口論」を出した時にこう言いました。「神の命の通り、一生懸命働いていれば豊かになれるはずだ」と。「貧しい人間は神の命に背いた人間であり、罰を受けているんだ」と。これが18世紀の産業革命の時に出てきた。このマルサスが今の市場原理主義を形成した考え方でしょう。

 英国にはエリザベス救貧法をはじめとした救貧法がありましたが、19世紀になると、救貧法による福祉は削減されました。マルサスの思想の影響です。そして、スラム街が悲惨な状態になり、見るに見かねたマルクスやエンゲルスが社会主義革命を進めていくきっかけになった。

 市場を信奉している人々は「神の見えざる手」、すなわち市場の自由な競争に任せておけば世の中うまくいく、と言うけれど、現実の市場を見ると、情報は非対称。証券会社のプロと庶民を比べたら証券会社のトレーダーの方が圧倒的に情報は多い。庶民が必死になって株を買っても勝てるわけがない。

人間以外の生命に対する畏怖の念がなかった
 この市場原理主義の考え方は、大量の情報を持つ人間、つまりカネをたくさん持つ人間にとってメリットがある。社会のエリートをサポートするには都合のいい理論、支配者にとっては都合のいい理論でしょう。「この世の中は自由競争だ」「お前らは商売が下手だから貧しいんだ」と言えばいいんだから。

 「競争に負けた自己責任だ」。同じ人間に対してこう言うのだから、森の命、昆虫の命、動物の命――といった人間以外の生きとし生けるものに対して畏敬の念を持つことは全くない。「お前は神の命に背いたから貧しいんだ」「そんな人間はどこで野垂れ死にしようが構わない」という理論の中で、人間の外にある自然の命に対して目配りできるはずがない。

 そうしたら、人間は皆豊かさを求めるために必死で生き、資源を収奪し、食い尽くすだけ食い尽くして、欲望を肥大化させるしかないわけです。その結果、今の地球環境問題が生まれてきた。

 ―― つまり、今の市場原理主義を伴う資本主義は一神教であるキリスト教から生まれた。自然と人間の関わりを聖書でうたっていないキリスト教は、自然に対する畏敬の念がない。キリスト教社会で生まれた今の経済理論は環境に想いを巡らせる発想がそもそもない。だからこそ、地球環境問題が生じた、と。

 安田 その通りです。多神教と一神教の最大の違いは何か。それは、自然や人間以外の生命に対する畏怖の念。キリスト教は森を開拓し、自然を克服していった。だからこそ、自然を冷徹に見つめる自然科学が誕生した。でも、そこには人間以外の生命に対する畏怖が欠落している。

 ヨーロッパの森を切り倒した後に広がったのは一神教の世界でした。これは、先ほども言った通り、妄想の世界です。現代の世界を支配している市場原理主義も妄想の世界。金融システムも数字だけで生きている虚構の世界でしょう。八百万の神が生きる多神教からは市場原理主義は生まれない。

 ―― しかし、資本主義や市場主義は今の世界のスタンダードになっています。

 安田 日本はこれだけ森林資源が有り余っているにもかかわらず、世界一の木材輸入国だった。国土の70%が森林に覆われて、腐るほど木が余っているのに、外国材が安いというそれだけの理由で輸入してきた。

 あるいは、ほんの一部の金持ちがトウモロコシに投資した結果、値段が上がり、アフリカの人々が食べることができなくなった。ほんの一部の金儲けのために、何千万人という人の命が危険にさらされている。

 同じことが水でも起きようとしている。水は人間が生きる最低限のもの。それさえ一部の金持ちの投資対象になりつつある。その一部の人間は100回、地球上で生きたって使い切れないくらいの富をためている。そして、100回生きても使い切れない金をためても「まだ欲しい」と言う。こんな社会が許されるわけがない。

 ―― では、われわれは今後、どんな社会を目指すべきとお考えですか。

 安田 僕はよく言うんだけど、北海道の渡島半島に南茅部遺跡というのがあって、そこから縄文の足形が出ている。子供の足形で、小さい子供の足形が土の板に押してあった。生まれたばかりの子供の足形でした。ところが、よく見ると、指だけが強く写っている。これは指が硬直しているため。死んだ子供の足形なんですよ。この足形にはペンダントのように下げる穴が開いていました。壁に掛けるためでしょう。

 これは、大人の墓から出てきました。親にとって、自分よりも先に子供が死ぬのは一番悲しいこと。縄文時代は子供の死亡率も高く、日常茶飯事だったと思う。その時に、子供の形見として足形を取って、一生涯ずっと持って、死ぬ時にお墓に一緒に埋める。それを6000年前の縄文人がやっていた。縄文人がいかに命というものを尊重したかが分かるでしょう。

 でも、今の世の中では、自分の子供を平気で殺す親がいる。それに比べれば、縄文の社会は原始的で未開かもしれないが、縄文人の心は現代の人間よりも崇高だと僕は思う。縄文時代はどんな人間でも平等だった。縄文時代は1万年続いたけど、一度も戦争をしたことがなかった。そして生きとし生けるものの命を最も大事にした。今よりも遙かに崇高な時代だったと思う。

式年遷宮を1300年続けられることが日本人の喜び
 弥生時代も同じです。弥生時代はコメを作って魚を食べる社会でした。コメを作るためには水を使わなければいけないでしょう。だから、稲作の社会は水によって、人と人とがつながっていた。自分の田に入った水は、自分の田の水だけれども、同時に次の人の水でもある。この社会では他人の幸せを同時に考える社会だった。

 ところが、戦後の人たちは伝統的な日本の水利共同体のシステムを破壊した。破壊した結果、水源に産業廃棄物を捨てるとか、そういうことを平気でやるようになった。

 日本人は生きとし生けるものを崇拝し、他人の幸せを考え、慈悲の心を持って、人と自然が接するという素晴らしい伝統があった。でも、今は「成長こそが素晴らしい」という市場原理主義。もともと、日本人はこうした考えを否定していたにもかかわらず、ね。

 ―― そうなんですか。

 安田 伊勢神宮の式年遷宮があるでしょう。持統天皇の時代に始まった式年遷宮は20年に1回、お社を建てるという行事。しかも、同じ大きさに、同じ方法で建てる。これは、何の成長もないということ。僕は三重県出身ですから式年遷宮はよく知っている。だけど、なぜ20年前と同じことをしなければならないのか。なぜ大きい建物ではなく同じ物を建てなければならないのか。その理由がよく分からなかった。

 でも、地球環境問題が起きてその意味が分かった気がしました。20年は一世代。おじいさんが式年遷宮をしたらお父さん、お父さんがやったら子供、子供の次は孫、曾孫と1300年間、延々と式年遷宮は続けられてきました。これは、20年ごとに式年遷宮をやれる喜びを感じてください、ということではないか。右肩上がりに成長するのではなく、持続的に式年遷宮を続ける喜びを感じてください、ということではないか。

 今、右肩上がりで成長したとしても、地球環境問題が深刻化すれば、20年後に式年遷宮ができるかどうか分からない。「2050~70年に現代文明は崩壊する」と僕は考えている。20年後はともかく、60年後にできるかどうか、分からない。それに比べれば、成長は確かにしないかもしれないけど、20年ごとに式年遷宮ができて、1300年続く方が喜びは大きいのではないか。

 市場原理主義をリードしているほんの一部の人々が100生分のカネをためても、文明が50年で崩壊したら何の意味もない。それよりも、一生か二生分のカネをためて、その残りを、地球資源を守るために使う、あるいは、貧しい人々の暮らしを守るために残しておいて、1000年地球を存続させる。その方がよっぽど幸せではないか。こういう哲学が市場原理主義には完全に欠けている。

イースター島の崩壊は森林破壊から始まった
 ―― 先ほどの「2050年~70年の現代文明崩壊説」とはどういう考えでしょうか。

 安田 地球が支えられる人口はどれだけ頑張っても78億人ぐらいだと僕は見ている。その限界点を突破するのは2025年頃。それでも、人口が増え続けて、地球上の人口は2050年に92億人、多ければ98億人に達すると言われている。100億人近くに増えればさすがに人口を維持できないでしょう。

 私がこう主張するのは、イースター島の盛衰を考えたためです。

 南太平洋に浮かぶ絶海の孤島、イースター島は宇宙に浮かぶ地球と同じですよね。ところが、イースター島は人口が1万人に達した直後、崩壊しました。食料がなくなり、最後は共食いまでした。その原因は環境破壊です。

 イースター島の人々は12世紀頃から森林を切り始め、この島の森林をすべて破壊してしまった。17世紀の段階で人口が1万人ぐらいになりましたが、その頃には森がほとんどなくなっていました。そして、食料危機、燃料危機に直面し、人口が急減した。

 ペルーに奴隷として連れて行かれた人もいましたが、最終的には40人ぐらいにまで減ってしまった。森を破壊したイースター島は島の人口を維持できなくなり、人口が激減した。今のまま、地球環境を破壊すると、現代でも同じことが起こり得る。

 ―― 人口の増加だけでなく気候変動も深刻な影響を与えますね。

 安田 「今の温度条件、環境条件がこのまま続いたとしても、2050年には崩壊するだろう」というのが私のシナリオです。でも、地球温暖化がこのまま進行すれば、もっと恐ろしいシナリオが現実味を帯びる。

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は今世紀末には6.4度、温度が上昇すると言っていますが、2度水温が上がると珊瑚礁は絶滅すると言われている。珊瑚礁はCO2を吸収しているわけだから、絶滅すればさらに温暖化が進む。同時に、生物多様性が半減する。その段階から地球上の食料は徐々になくなっていくでしょう。

 平均気温が3度上昇すると、グリーンランドの氷が解けると言われている。グリーンランドには厚さ3000メートルの氷がありますが、それがすべて解ける。解けると何が起きるか。様々なシナリオが考えられるけれど、北極の氷がすべて解けた場合、海洋の循環が止まる可能性がある。

次のシステムを作るのは多神教の国、日本
 ―― 海洋の循環とはどんなものでしょう。

 安田 海洋には表層水と深層水の循環があります。北大西洋で表層水が潜り込み、インド洋を通り、北太平洋で湧昇流となって浮上してくる。なぜ水が沈むかというと、水は4度の時が最も比重がある。そのため、北極の冷たい氷で冷やされた海水が重くなり、北大西洋で深層に潜り込むわけです。

 その動きがエンジンになって、インド洋を通り、北太平洋で上がる。オホーツク海周辺の北太平洋は素晴らしい漁場でしょう。なぜ優れた漁場になるかと言えば、栄養分を含んだ深層水が海底から上がってくるため。それがプランクトンを育て、魚を呼び寄せる。ところが、4度に海水が冷やされなければ、水が潜り込めないわな。エンジンがなければ、海水の循環は止まってしまう。

 ―― 海水が循環しなくなると、何が起きるのですか。

 安田 海底が無酸素状態になって、海洋生物が大絶滅する可能性があるね。それは、琵琶湖で既に起きている。冬に比良山脈から吹く冷たい風が琵琶湖の水面を冷やしていた。それで、酸素を含んだ表層水が下に下り、海底に酸素を供給していた。でも、最近では冬になっても寒くならないものだから、無酸素状態になってヘドロがたまっている、と言われています。これと同じことが大西洋、太平洋で起こればえらいことですよ。

 IPCCは6.4度と言っているけど、平均気温が3度より上がるだけでこれだけの影響が出る。5度上がると、地球は別のシステムになる。人類はそこでは生きていけないでしょう。

 ―― 地球環境を考えると、今の経済システムそのものを変えていかなければならない、と。

 安田 変えなきゃいけない。もうやめることですよ。もちろん、社会が混乱するから一気にやめることはできないけど、今の資本主義を修正していくところから始めるべきでしょう。人間が生きるために必要な水や食料、エネルギーに対する投資には一定の規制を設けることが必要ではないでしょうか。

 ―― われわれ日本人には、何ができるのでしょう。

 安田 暗い話をしましたが、次のシステムを作れるのは日本だと思います。一神教の世界観に立脚した経済システムに代わる経済理論、経済システムを作るのは多神教の世界観を持つ日本しかありませんよ。そのキーワードは命。生きとし生けるもの、この地球上にあるあらゆる命が輝くような経済社会を作る。今までは人間だけが命を輝かせていたけれども、さらに言えば、金持ちだけが命を輝かせていたけれども、地球の皆が輝けるような社会を作ることです。


皆さんはいかがお感じになりますか?^^



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